今、『日本沈没』のカウントダウンが始まっているあなたの子孫に何を残すか
日本沈没前のあなたの『決断』は

Japanese Utopia Development Project」実行委員会

今、動かなければ!
日本人の東アジア・南アジア大移住
『プロジェクト』

 

一、本プロジェクトは小野寺絋毅氏の三つの決意から始まった

小野寺絋毅氏は現在79歳、高度経済の真っ只中に小松左京の「日本沈没」という映画を見て
衝撃を受けたと言う。
その時には、日本沈没は、あくまでも架空の物語に過ぎなかった。
しかし、その後の人生で新潟県中越沖大震災阪神淡路大震災東北地方太平洋沖地震の大災害を目の当たりにして、
それが現実にあり得るものであると知らされたという。
特に、小野寺紘毅氏の父の故郷・気仙沼が東北地方太平洋沖地震の大津波に飲み込まれていく光景に、ただただ呆然としてテレビの画面に釘付けになり、涙が止まらなかったという。
そして、そのテレビの光景が、かつて見た「日本沈没」そのものであった。
この地震での死者1万5,900人行方不明者2,525人もの尊い命が犠牲となった。

この時から小野寺絋毅氏の頭の中に、
「日本人の命を守るためにはどうすれば良いか」
というのが人生の最大なテーマとなっていったという。
その答えが、
「今後起こることであろう大震災から、生き残り、新たな人生をやり直すには、どうしても移住先が必要である」
という結論であった。

「日本人大移住プロジェクト」は、
正に、日本人の「生き残りのため」の日本人の未来をかけた壮大なプロジェクトに他ならないのである。

〈小野寺絋毅氏にはもう一つの体験がある〉

父の代に満州の大地へとフロンティアを夢見て移住した。
ところが、結果的に大戦に敗北し、満州に移住した日本人は戦後の混乱の中で想像を絶する苦難を余儀なくされた。

小野寺紘毅氏は、昭和19年、満州で生を受け、終戦の時には、まだ1歳9ヵ月の年齢で家族と共々に故国日本へ引き上げてきた。
この時の故国日本は、小野寺家にとっては、逆に、生きるために残された移住地となった。
当時、故国日本に戻ることができずに満州の地に散った日本人の家族や同胞は膨大に上った。
その時の体験が小野寺紘毅氏の今回の大移住プロジェクトを決意した第二の理由である。

〈大移住プロジェクトを決意させた三つ目の理由〉

2011年の東北地方太平洋沖地震は二つの意味で私たちに衝撃を与えた。
一つは大津波であるが、それ以上に衝撃を与えたのが福島原発のメルトダウンだった。
諸外国の人々は、
福島原発の惨状を見て「日本国は終わった」と考えた。

行動力と資金力のある人はその日のうちに東京を離れ日本を脱出した。
福島原発事故が私たちに本気の移住を決意させた。

小野寺紘毅氏の当時の行動

小野寺絋毅氏は当時、靖国神社の前の路上で震災にあったと言う。
急いで帰宅し、車に寝具一式を積み込み、家族三名で別荘のある湯河原へ直行。
しかし、関東地方への新たな原発被害の拡大を案じ、さらに車を走らせて下関までたどり着いたという。
そこから、妻子を青島行きの船に乗せて安全を確保した。
自分は急遽、東京に引き返し、仕事や親族の安否を気遣った。

福島第一原発爆発この立ち上る黒雲に私たちは絶望を見た

福島原発が大メルトダウンに至らなかったのは偶然であった。

福島では些細なメルトダウンが起こったが、不幸中の幸いで大事故には発展しなかった。
しかし、当時の専門家の分析では、いつ大規模なメルトダウンが起こっても不思議ではなかったと言う。
その時には、10分で首都東京の一千万人の命は一瞬にして失われると言うものであった。
その時、日本人が生き残ったのはまさに奇跡というほかはない。
これは天の計らいというしか受け止めることができないのである。
この原発事故を体験して、大移動を考えない日本人はいない。
人類はチェルノブイリを体験したが、民族が絶滅するという危機体験をしたのは日本人と日本民族しかいない。
広島や長崎の被爆体験も民族絶滅の体験であったが、これに匹敵する体験が今回の福島原発事故のメルトダウンであった。

私たちは人類を危機的状況に追い込んだ体験から何を学び何を対策しなければならないのだろうか。

小野寺絋毅氏は、ますます日本人を救済することが人生の最大のテーマとなったという。

二、大地が裂け、大津波が私たちに襲ってくる   

天空が暗黒に染まり、大地が裂け、建物群が地中に飲み込まれていく。
大海は40メートル級の大津波となって都市や村々を襲い、人々の命を容赦なく奪っていく。
これが日本沈没の末期の光景である。
実は、この光景が今、目前に迫っている。

1995年の阪神淡路大震災と2011年の東北地方太平洋沖地震は、迫りくるわが国土の日本国沈没と社会の崩壊への序章であった。

〈南海トラフ巨大地震〉

南海トラフ巨大地震は2035年前後に発生すると言われている。
その人的被害(死者)は32万人にも達すると予想されている。
しかし、その想定は単に人間の考えだした知識の産物としてのデータに過ぎない。

実際には大自然の働き、大地球の中で起こっていることは、
私たち人類の想定をはるかに凌駕して、人類を滅亡へと加速している。

〈迫りくる南海トラフ巨大地震発生の構造〉
・発生予測  2035年前後  ・死者数予測 32万人

島嶼としての日本の国土というのは、
太平洋プレートフィリピン海プレート北米プレートユーラシアプレートという四つのプレート構造の上に存在している。
理屈的に言っても、いつ大災害が起こっても不思議ではない条件の上に私たちは生活している。

三、原発のメルトダウンは一瞬にして日本人の命を奪い国土を地獄絵に変える 

日本の危機は、南海トラフ巨大地震の自然災害だけではない。
むしろ、原発事故安全保障上の紛争による原発へのミサイルの投下が日本国を滅亡に誘い込む重要な要素となっている。
私たちは原発と背中合わせで生活している。
日本には北海道から九州まで16の原子力発電所があり、福島第一原発事故の後も、まだ、6原子力発電所で10基が稼働している。
原発は一つメルトダウンを起こすと、国土の狭い日本国はたちまち放射能に汚染された住めない土地と化する。

原発はいつ大事故を起こすかわからない。

人間が作ったものはヒューマンエラーを余儀なくされる場合もあるし、自然災害の影響も起こる。
そして、今の国際情勢の中にあっては北朝鮮や中国、ロシアの核ミサイルの標的にもなる。

人類の歴史は人類自ら生み出したものによって滅びるようになっている。
しかし、その人類の滅びを救えるのもまた人類の英知である。
今回の大移住プロジェクト構想は、迫る自然災害や人為ミスや紛争による原発メルトダウンに対する喫緊の唯一の生き残り策に他ならないならない。

〈日本の16ヶ所の原子力発電所〉
・泊原子力発電所        ・東通原子力発電所
・女川原子力発電所      ・福島第二原子力発電所
・東海第二原子力発電所    ・浜岡原子力発電所
・志賀原子力発電所      ・敦賀原子力発電所
・美浜原子力発電所      ・大飯原子力発電所
・島根原子力発電所      ・伊方原子力発電所
・玄海原子力発電所      ・川内原子力発電所

福島原発事故から避難した人々
福島原発事故に伴って、
放射能に汚染された帰宅困難地域から、多くの人々が全国各地に避難し移住していった。

〈計画的避難地域指定市町村〉
・南相馬市
富岡市・大熊町
双葉町・浪江町
葛尾村・飯館村

「なぜ今、日本人の大移住が必要なのか」

この問いかけは、まさに、自然災害や原発事故や紛争からの迫りくる日本滅亡に対する事前の危機管理としてのテーマとしての発信である。

大移住は、本来、人生の夢を希望したフロンティアでなければならない。
しかし、夢のための大移住の前に日本人の生き残り策として課題が、今まさに目の前に存在し、その決断を迫られているのである。

四、生命を守り継承する  

今ほど命の大切さを痛感するときはない。

地球自然における島嶼日本という国土に起こる大地震、大津波、大洪水は、今待ったなしのカウントダウンとなっている。

そして、日本沈没は、ある日、突然にやってくる。

私たちは過去、富士山の大爆発阿蘇山浅間山の大噴火を歴史の事実として経験している。
100年前の大正12年の関東大震災では10万余の人々の命が失われた。

直近では、
新潟県中越地震北海道南西沖地震熊本地震阪神淡路大震災
東北地方太平洋沖地震の大災害の中で、愛する父母や子を失っている。
東北地方太平洋沖大地震の時、私たちは愛するものを失い、深い悲しみを体験し、人の絆、家族の絆を痛感させられた。

〈地震の犠牲者数〉
・新潟県中越地震        死者46人  負傷者4801人
・北海道南西沖地ろ震      死者202人 行方不明者28人
・熊本地震            死者211人 重傷者1,604人
・阪神淡路大震災        死者6,432人 負傷者4万,792人
・東北地方太平洋沖地震   死者1万,900人 行方者2,525人

原発によるメルトダウン事故も突然にやってくる。

放射能で汚染された土地は、人が安心して住めるようになるまで何千年の時間を要する。
その間に子や孫へと命はつなげなければならない。
故郷の緑豊かな山河への哀愁も必要であるが、子孫が生きるためには何ができるかが、それ以上に重要となってくる。

今回の日本人大移住プロジェクトは、
もう二度と、
愛するものを失ってはならない、愛する者と別れてはならない
という強い決意から始まった「命を守る」というプロジェクトである。

明治期以降、日本人は海外への新天地を求めて多くの人々が移住していった。
その理由は貧困からの経済基盤を求めた移住であったが、その理由にとどまらず、世界への夢のフロンティアを求めての移住もあった。
しかし、今回の大移住は、
一にも二にも
日本人としての生命の継承のための大移動である。
生きるための大移住計画と言えるものである。

五、子や孫へのプレゼント       

あなたは、子や孫に残せる宝物はありますか。
お金は大切ですが、しかし、日本が沈没する危機的状況の中では、形としてのお金は何の役にも立ちません。
銀行にいくら資産を預けているかと言っても、それは海の藻屑と化して何の意味も持ちません。
私たちが生きる上で大切なものは何でしょうか。
あなたが子や孫に残すべき宝物は何でしょうか。

答えは、
「生きるための土地」であり、
「生活インフラとしての土地」である。
土地生きることへの希望と情熱さえあれば、あなたの子孫は生きることができる。
そして、あなたから託された土地と子孫への想いは、永遠に継承されるものである。

あなたの未来の子孫のために「土地」を残す。

日本の伝統的精神文化は、
「あなたは上四代の祖先に守られて生きている」という考えである。

〈上四代の構成〉
四代・高祖父母16人
三代、曾祖父母8人
二代・祖父母4人
一代・父母2人
合計30名です。

約80年の歳月である
私たちは「いつも上四代30名の祖先と共に人生を歩んでいる」という考えである。
上四代に守られているという考えは、逆に言えば、あなたの役割は下四代の子孫を守る使命を与えられているという考えである。
日本人は、「あなたを中心に上四代から下四代の九族から成り立っていて生きる運命の関係になっている」というと理解をして、祖先のご縁を大切にしてきてきた。

今回の大移住プロジェクトは、あなたが、あなたの下四代の子孫を今後80年にわたって守り、支えるための基本となる「土地」を確保し、残すための活動ということになる。

六、なぜアジア諸国への大移住なのか 

日本の国土に天変地異の未曾有の大災害が起こった時、日本人の三分の一は住むところを失って、諸外国への移住を余儀なくさる。
三分の一とは、現在の日本の人口は1億2000万人余りである。
約4千万人が海外に移住せざるをえないのだ。
この4千万人の移住先は、緊急避難としての名目では、近隣の中国、モンゴル、韓国、台湾、フィリピンとなる。
そして、東南アジアのベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、マレーシア、インドネシア、ボルネオもその候補地である。
オーストラリアやニュージーランドも受け入れることでしょう。
日米の同盟関係からすると米国やカナダも引き受けることになるでしょう。
そして明治以降に大多数の移民を受け入れてくれた中南米諸国も名乗り出ることでしょう。
こういった多くの国々が候補地に上がっていますが、
やはり、
東アジア・南アジアへの避難と移住が現実的です。
モンゴルの大地から東南アジア諸国までの広範囲の国々の協力をお願いしていきたいと思っています。

七、東アジア・南アジアへ大移動プロジェクトを開始する決意

私が提唱する日本国民・日本民族大移住プロジェクトは、
日本民族の生き残りをかけた壮大なプロジェクトである。

本来は国がやらなければならない事業であるが、しかし、今の日本国の現状は日本滅亡への危機意識が皆無である。

この日本人救済大移住プロジェクトは、国がやらなければやらなくても良いという問題ではない。

志のある人が手を上げ、
情熱のある人が実際に行動に移す。

何事もできることから始めるのが物事のスタートである。

今回のアジア大移住プロジェクトは、小野寺絋毅氏の志と情熱に賛同した人々が小野寺絋毅氏の下に参集し活動を開始するものである。
「いつ大災害が起こっても不思議ではない」という意味では、今が正に風雲急を告げる時代である。

何事も救済の夢を成し遂げるには命がけでなければならない。

私たちは小野寺絋毅氏の下、一度しかない人生を命をかけて、今、活動を開始する。

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