34年間の赤穂四十七士もの御霊を弔う義士行列
まず一つ目は、党首小野寺こうきは、平成元年から今日まで34年間という長きにわたって赤穂四十七士もの御霊を弔うために、東銀座の歌舞伎座前から高輪泉岳寺までの行程を、当時の思いを再現する義士行列を行って参りました。
四十七士は見事に仇を討ちましたが、52日後に全員切腹し、命を果てました。
赤穂を四十七の義士の物語は、江戸元禄から今日までの321年の間、語り継がれて来ました。
その理由は、主君に対する忠義、親子の孝養、人々を愛する敬愛の心、仲間としての結束、目的をやり遂げる決意と勇気など、江戸庶民が日本人としての大切な精神を実行に移し演じて見せたという、その姿にあります。
確かに、時代によって社会や生き方の価値観は変遷していきますが、変わらずに、残って欲しいこと、残していきたいことがこの四十七士の精神です。なぜ、義士行列を続けるのか、それはとりも直さず、義士の精神を伝えるためにあります。
この気持ちが新党への思いであり、理念です。
次に二つ目は、ミャンマーへの思いです。
ミャンマーに対して日本人の思いは、旧ビルマという名称で心に深く刻まれています。今大戦では、ビルマ全土で18万人も日本兵が戦死しました。そして、ビルマの国民も戦火に巻き込んでしまいました。この戦場に散った18万人の御霊の慰霊と、ミャンマーの国民への報恩の気持ちを表すために我が新党は、
日本とミャンマーの友好関係を促進し、さまざまな支援活動を重視しています。
三つ目は、党首小野寺こうきが、51年前の小松左京原作の映画『日本沈没』を観たときの衝撃にあります。
日本が天変地異によって、大海の藻屑と化していく、そして、日本国民が生きるために、近隣諸国へ避難し、移住していく。
ここに表現されている光景は必ず未来において現実化する、このことへの危機感を党首小野寺こうきは人生で一貫して持ち続けて参りました。
その後の福島原発事故、東北太平洋沖地震や阪神淡路地震をはじめ、さまざまな巨大地震による被害、迫りくる南海トラフト地震への不安、近隣諸国からの戦争による核の脅威、日本沈没、首都東京壊滅は待ったなしの状況にあります。
このような日本沈没に連なる危機に対して、東京都民は、その深刻さと重要性が弱いといえます。今回の新党の設立は、
防災都市東京、防衛都市東京への危機意識を喚起する活動を行うために立ち上げたものです。